小学校受験はエスポワール

 

心焉に在らざれば視れども見えず

8月になりましたね。

ご両親は3ヶ月先の受験を見据えていることでしょう。次のような諺がありますよね。

「心焉(ここ)に在らざれば視(み)れども見えず」

心が他のことに奪われていれば、視線が向かっていたとしても何も見えていないと言う意味です。この時期になると、子供のことを全く見ていない親が増えます。頭の中は、あれが足りない、これが足りないと心配事で一杯なんですね。子供の顔を見つめても、思い浮かぶのは、あれをして・・・これをして・・・それから・・・と受験のことばかりです。子供が笑っても気にしません。子供が悲しい顔をしても気にならなくなります。子供が構って欲しくてバカバカしい話をしても、聞く耳すら持ちません。エスポワールの個人面談にお越し頂いても、お話される内容は子供のマイナス面ばかりです。夏休み前までは、子供の成長を喜んで涙していたのに、この時期からは、子供の至らない点ばかりが気になって涙します。

小学校受験の怖いところは、親の視野が狭まって、子供のことが全く見えなくなることです。

視線は来るけれど、見てくれないのは辛いですよね。これは大人の世界でも同じです。上司の視線は感じても、実は部下のことを全く見ちゃいないことを知ったらショックですよね。夫婦でも、側にいるのに、相手の心がうわの空だったら、それは悲しいです。

幼児だからと言って、例外ではありません。

最愛の親がうわの空で、本気で構ってくれなかったら、普通の5〜6歳児ならトラウマになります。本来なら全身で愛情を受け止めて、幸せを感じなければならない年齢ですからね。親子の心の絆を断ち切るに等しいことです。

私ですか?

私は子供が言うことを真剣に聞いています。余計なことを言わずに、ただただ、ひたすら聞いています。幼稚園の話、オモチャの話、自分で考えた新しい遊び方の話、連れて行って欲しいところの話、バカバカしい話、話にならない話・・・などなど。話すのは簡単です。話し合うのも簡単です。しかし、聞き役に徹するのは、私でも難しいことです。仕事や家事で疲れていても、子供を邪険にせずに、真剣に聞くには、大人(たいじん=徳の高い人・度量のある人・人格者・大物)としての“余裕”がないと出来ません。(私はまだまだ未熟者ですね)

話にならない話を含めて、子供の話を共有する。

これはとても大切なことです。愛する親に、言いたいことを全部言ってしまうと、子供は安心したような表情を見せます。話を共有した(させた)ことによって得られる安心感なのでしょうね。

私は真剣に聞いていますよ。年少の娘の話、年長の息子の話、妻の話。どんなに疲れていても、おくびにも出さず、目を見て心で聞く。家族の聞き役に徹することが、父として、夫としての私の仕事だと思っています。それで家族が幸せになれるのなら、私は大満足です。

(エスポッポ倶楽部:上田トモヤ)


ブログタイトル一覧に戻る

Copyright(C) 2006 ESPOIR Corporation All Rights Reserved.