小学校受験はエスポワール

 

ご縁がございますようにと、祈りながら勉強をする

小学校受験は、運良く希望校に合格すると、親は天にも昇るような幸福感で一杯になります。反対に不合格になると、親子の人格を全否定されたような、深い絶望感にさいなまれるのです。

親の気持ちには、天と地ほどの違いがあります。

子供に対する接し方も、合格さえすれば、「あんたはエライ!」と親からは連日連夜にわたって誉め称えられます。どんなにワガママを言っても、どんな失敗をしても不問にされるのです。反対に不合格だと、性格の悪い親なら、「ぜーんぶ、あんたがいけないのよ!」と言われ、普通の親なら、「・・・・・・」と何事もなかったように扱われて、まともな親だと、「よく頑張ったな!」と労ってもらえることもあるでしょう。しかし、暫くはどんなに良い行いをしても、以前のようには、誉められることは少なくなります。

このように、子供の扱い方にも、天と地ほどの違いが出てくるのです。

小学校受験は本当に残酷なんです。同じような頭脳、同じような家庭環境、同じような礼儀作法を持つ2人の子供が受験すれば、片方だけ合格して、もう片方が落ちることは、珍しいことでも何でもないです。もっと極端なことを言うと、同じような家庭環境で、頭脳が高い方が落ちて、頭脳がほんの少しだけ劣るお子さんの方が合格することも、珍しくはありません。

この違いの理由は何だと思いますか?

答えは、運です。考査中の失敗などの運不運ではありません。2人とも、ペーパーも行動観察もクリアできたハズです。単に学校側の趣味に合わなかっただけなのです。

小学校受験は、最後の最後は「運」です。例えば、定員が50名のところに、ペーパーと行動観察をクリアした甲乙付けがたい優秀な100名が残ったら、最後の最後で、絞り込まれてしまいます。それも成績順ではなく、校風や伝統(カラー)に合致する順にです。子供だけではなく親も含めてです。実際には、縁故枠やOB枠もあるので、一般人の枠は、その分だけ少なくなります。

就職試験なら、最終選考まで残って落ちたのだから仕方がないとか思えますよね。オーディションでも同じでしょう。それなりの努力は、それなりに評価をされたと思えるので、納得をすることが出来ます。ところが、受験には、途中経過はありません。合格か、不合格の2つに1つです。どんなに努力をしても、記念受験のなんちゃって受験生と同じ、「不合格」の結果でしかないのです。何も見えない分だけ、とても辛いと思います。例え、結果は紙一重の次点であってもね。

エスポワールでも、頭が良くて、性格が良くて、礼儀作法も良くて、その母親の品格も素晴らしくて、父親のステータスも申し分なくて、この子が合格しなくて、この世の中で、一体誰が合格するのと、どの保護者も全ての職員もが認める、首席級の素晴らしいお嬢様でも、学校側の趣味に合わなければ合格は出来ないのです。雙葉を単願で合格できなかった素晴らしいお嬢さんを今まで何人も見てきました。また、過去の首席級のお子様でも、白百合○−学習院×だったり、その逆に、白百合×−学習院○もありました。他には、早実○−暁星×で、その逆に、早実×−暁星○もあるのです。早実○−暁星○も、早実×−暁星×もありましたね。このように、何拍子も揃っているお子さんでも、学校側の趣味に振り回されているのです。これが小学校受験の現実です。

何が言いたいと思いますか?

小学校受験では、必勝を期して勉強をしないことです。中学校受験は、必勝を期してバリバリと勉強してください。その努力は報われます。しかし、小学校受験では、「娘(息子)にご縁がございますように」と祈りながら、勉強をすべきです。

何が違うと思いますか?

必勝を期して勉強をすれば、結果次第では、その責任は誰かが負わなければなりません。しかし、中学受験での努力は、それなりに報われるので大丈夫です。それに対して、小学校受験は、優秀なお子さんの中から、学校の選り好みで合否が決まります。どんなに優秀でも「運」がなければ合格は出来ません。「ご縁がございますように」と祈りながら勉強をすれば、如何なる結果次第でも、誰も責任は問われないで済むのです。

このように思いながら受験準備をすれば、親の顔が般若面になったり、勉強中に子供をなじったりすることもなくなります。親の受験ストレスからくるイライラも減少するでしょう。小学校受験はご縁だと思うと、親の子供を見つめる厳しい眼差しが、慈愛の眼差しへと変わってくるのです。

(エスポッポ倶楽部:上田トモヤ)


ブログタイトル一覧に戻る

Copyright(C) 2006 ESPOIR Corporation All Rights Reserved.